「1.17」から10年

犠牲者合同慰霊式で、震災で亡くなった市民118人にご家族とともに祈りを捧げました。

祭壇に向かわれるのが年配のご夫婦のときも、若い娘さんのときも、どなたを亡くされたんだろうと思った途端ぐっときてしまいます。あの日を体験した者なら、きっとみんな。

ソリオホールの追悼ジャズコンサートから、ベガ・ホールの「ニューイヤーズコンサート」へ。

「しあわせ運べるように」は、震災から立ち直っていく神戸のまちを歌ったボーイズ・エコーの定番曲です。

あの時まだ2歳だった子たちが6年生になりました。

とんぼ返りしたソリオHで行われたパネルディスカッション「震災から10年、いま新しいまちがうまれる」。

震災で傷ついた子どもたちの心を、学校という日常の中で修復していった先生たち。その地道な努力に初めて光が当てられました。子どもと地域を学校がつないでいること。「ケアする人」をケアする人、ボランティアを支える仕組みが必要なこと。人と人のつながれるまちが「災害に強い町」であること。

そして、大地震は必ずやってくる―。パネラー1人ひとりの実体験に基づく話はしっかり響いてきました。

学校は地域にとって特別の場所かもしれない、と考えるようになったのはいつ頃からだろう。

当時のわたしは越してきたばかりで、わが子はよちよち歩き。学校とは無縁で、そこが避難所になっているのを知ったのは、急きょ制作した被災者向け情報を配りに芦屋市内の避難所をまわったときでした。

そんな住民がわが町では急増中です。年代が違えばほとんど接点はなし。ここを「災害に強いまち」にするにはどんな仕掛けがいるのでしょう・・・うーん。

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