
わたしが宝塚から大阪府寝屋川市に引っ越したのは小2の夏休みでした。転校先の第五小学校は校門がなく、木造平屋の校舎。紺の制服。コークスのストーブ。綿シャツの体操服に、女子が黒くてブカブカしたものを履いているのを見たときは目がテン・・・。
学校によって(正しくは「自治体によって」)こんなに違うものかと、子ども心にハッキリ認識したのが給食です。ブルマーは我慢できても、脱脂粉乳には泣かされたっけ。
近代的な仁川小学校に戻りたいと思ったのは数日間で、すぐに友だちができ、力いっぱい楽しい小学校生活を送りました。
学校によって(正しくは「自治体によって」)こんなに違うものかと、子ども心にハッキリ認識したのが給食です。ブルマーは我慢できても、脱脂粉乳には泣かされたっけ。
近代的な仁川小学校に戻りたいと思ったのは数日間で、すぐに友だちができ、力いっぱい楽しい小学校生活を送りました。
卒業後初めての同窓会が開かれることになり、35年ぶりに懐かしの学び舎を訪ねました。40年代後半の開発ラッシュで児童数が急増、当時から校舎の増築が続いて様相はかなり変わっていました。
五小のシンボルだった噴水も、学校動物のほかヤギやサルまでいた飼育小屋も、(今では考えられない)スリリングな遊具類も姿を消しましたが、丘の上の小学校は今も緑がいっぱい――。
様相といえば、先生は変わらないのに、旧友たちは「おじちゃん」「おばちゃん」そっくりになっているのが笑えます。わたしもそうみたいなのですが。^^;




