有本さん講演 「生きている間に拉致問題の解決を」

北朝鮮が日本人拉致を認めた日朝首脳会談から10年目の今日、有本恵子さんのご両親がみえると聞いて西逆瀬川自治会館へ出かけてきました。

1983年、留学先から帰国直前に消息を絶った恵子さん(当時23歳)。88年に拉致疑惑が発覚、97年に家族会が発足するまでの9年間、外務省や政治家に働きかけても「だれも相手にしてくれなかった」と嘉代子さんは語ります。

「あの日はうきうきして出かけました。議員会館に各社のテレビカメラが詰めていて、テーブルにはおやつとシャンペン。『恵子だけが戻ってすむ問題じゃない。全員が戻ってこないと解決しない』と言うつもりでした」。

ところが他の家族とは別の部屋に呼ばれ、福田官房長官に「残念でした」と娘の死を告げられたのです。

報道されない真実。何もしない政治家への怒りとメディアへの失望――(複雑な思いでうかがいましたが、わかります)。ちっとも進展しない日朝関係に苛立ちながら、わが子を取り戻す活動に人生の後半を生きる。苦悩の日々を支えてきたのは街頭で署名する人々や手紙での励ましだったとか。

こんなことが自分の時代に、すぐ近くの神戸で起きているという現実を、私は目の前におられるご夫妻によって強烈に突き付けられることとなりました。

86歳とは思えないほど雄弁で、笑顔を交えながら受け答えされる嘉代子さん。寡黙を通していた明弘さんが終盤で一転、政治と憲法、国家のあり方について厳しく批判し、政治家を選ぶ国民の責任を訴えられました。「もう一度あの子をこの国に戻したい。抱きしめてやりたい。最後まで皆さんに関心を持ち続けてほしいんです」。

なぜ気がつかなかったのでしょう。恵子さんは1960年生まれ。私と同じ歳なのです。

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