
家族社会学やジェンダーの研究者で、北海道の大学で教鞭をとる友人が宝塚ホテル泊。というわけで、急きょ連絡の取れた昔の仲間が集まりました。96年2月に発足した「仕事と子育てを考える会 てんびん」。赤ん坊やヨチヨチ歩きを連れて旧女性センターに集い、働く意味を確かめ合い、情報を交換、子育て&両立支援の充実を願って方々へ働きかけてきたグループです。
子育て支援ということばもなかった頃で、私たちは仕事の合間に取材してまわった保育所・学童保育の情報を冊子にまとめ、後にホームページも立ち上げました。どちらも市役所よりずっと早い時期に。
センター職員、大学教員、社協職員、民間の研究職、CA、小学校教諭、働くことを模索中の専業主婦、記者の私ほか十数名。西宮、芦屋、三田の人もいて、それぞれの職場事情や行政サービスの差がよくわかりました。研究者の友人とはファミリーサポートセンターの立ち上げにも関わりました。
子どもが小学校にあがってからはそれぞれの道を必死で歩んできたっけ。あまりの忙しさに「記憶がない」との告白も続いて、大笑い。それから「てんびん」は解散する間もなく、長い休眠に入ったのでした。
子育て支援ということばもなかった頃で、私たちは仕事の合間に取材してまわった保育所・学童保育の情報を冊子にまとめ、後にホームページも立ち上げました。どちらも市役所よりずっと早い時期に。
センター職員、大学教員、社協職員、民間の研究職、CA、小学校教諭、働くことを模索中の専業主婦、記者の私ほか十数名。西宮、芦屋、三田の人もいて、それぞれの職場事情や行政サービスの差がよくわかりました。研究者の友人とはファミリーサポートセンターの立ち上げにも関わりました。
子どもが小学校にあがってからはそれぞれの道を必死で歩んできたっけ。あまりの忙しさに「記憶がない」との告白も続いて、大笑い。それから「てんびん」は解散する間もなく、長い休眠に入ったのでした。
女性の問題は女性にしかわからない。子育てに関してはとくにです(産まない選択も、子どものいない人生も、私たちは絶対に否定しませんが)。
家庭か仕事かの二択から、共働きもアリな時代へ。ただし「子どもができるまで」という見えないシャッターがそこらじゅうに仕掛けられていました。それをたくましく(しなやかに、なんて無理!)潜り抜けてきた者同士、視点が定まっていて話は尽きません。
介護世代となった私たちには、次なる試練と次世代のために取り除きたいハードルが見えています。さぁ、これからも自分らしく、どう生きましょうか。




